琉球ガラスの歴史。
□沖縄で初めて琉球ガラスが作られたとされているのは明治時代。
これ以前には本土から来るガラス製品を使用していたのですが、船のゆれによる破損が多く、これが問題となり、大阪や長崎から来たガラス職人によって、那覇に工場が建てられました。
当時はランプや漬け物の瓶など、生活に必要な日用品がよく作られていました。
□戦争による影響
第二次世界大戦の那覇大空襲により、ほとんどのガラス工場が焼け、またガラス製品も同じく焼失してしまいました。
戦後の物資不足とプラスチックの台頭により、ガラスの需要自体が少なくなりました。
しかし間もなく、駐留米軍による需要が増え、日常の器・アメリカ本土へのお土産として多く使われるようになりました。
大量の注文に対応する為、米軍が廃棄したビールやコーラ、セブンアップやウイスキーの瓶を活用し、新たに色つきのガラスが作られるようになりました。
□現在では
その後は沖縄観光の本格化や、協同組合の設立、工芸品としての認定などを経て、広く認知されるようになりました。
工房ごとに応用した新しい技法や、色・柄の開発などにより、琉球ガラスは進化を続けています。
職人さんに話をお伺いすると、あれやこれやと考えており、時間が足りないという程です。(*^。^*)
これからの「琉球ガラス」がさらに楽しみですね!
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